文化財情報
陜川郡 日本語 国宝

─国宝


○海印寺 大藏經板

指定番号 : 国宝 第32

指定日 : 1962年12月20

所在地 : 陜川郡 伽倻面 緇仁里 10番

数 量 : 81,258板

材 料 : 木板

時 代 : 高麗 高宗 24∼35年(1237∼1248)板刻


 

大藏経は仏教経典の総書を指す言葉で 経․ 律․ 論の三藏 あるいは一切経を言うものだ。この大藏経板は高麗 高宗の時、大藏都監で刻んだ大藏経の木板で、高麗時代に板刻されたと言う意味で高麗大藏経と言う。板数が8万余板に至って、8万4千煩悩に置き換える法文が載せられているので八萬大藏経とも言う。また1102年に最初に刻んだ初雕大藏経が1232年モンゴルの侵入で焼かれてしまった後、再び彫ったと言って再雕大藏とも言う。

この大藏経板は仏の力でモンゴルの侵入を防ごうと国家から大藏都監を立てて刻んだ大藏経板で、開泰寺の承統である守其が北宋官版とキタイ本、大藏経及び初雕大経板をすみずみまで比べて間違っているところを正しく直したので大藏ができて以来最も完璧なものとして評価され、現存する世界最古のでもある。1237年から1248年まで12年にわたって板刻し、準備する時間まで合わせば16年がかかった。

版心がない卷子本の形式で一面に23例14字ずつ刻まれている。江華島の大藏都監と南海の江華の分司大藏都監で分けて刻んで、総1,501種6,708冊だが、この中には高麗時代から朝鮮時代まで板刻され寺刊板11種97冊が含まれている。大きさは大体横70cm、縦24cm、厚さは2.4∼4cm、重さは3∼4kgである。

最初は江華都城の西門の外にあった大藏経板堂に収蔵されたが禪源寺をへて1398年5月にこの海印寺に移してきて法殿と脩多羅藏に奉安されて今に至る。

2007年6月14日世界記録文化遺産に指定された



○海印寺 藏經板殿

指定番号 : 国宝 第52

指定日 : 1962年 12月 20

所在地 : 陜川郡 伽倻面 緇仁里 10、1-1番地

数 量 : 正面 15間、横面 2

材 料 : 木造瓦家

時 代 : 朝鮮時代(1488

 


 

海印寺は法宝寺刹と呼ばれている。ここに八萬大藏経が保管されているからだ。藏経板殿は正面が15間もある大きい規模の二つの建物が東西に向き合って並んでいる。南にある建物を脩多羅藏、北のほうにある建物を法殿と言い、東·西のほうにもこれらより小さい規模の東·西板殿がある。

建物は大きい部材を簡潔な方法で処理して板殿としての機能だけを満足させただけで裝飾的な意匠はなしに、前·後面の窓戸の位置と大きさが違う。風通しのよさ、防湿の効果、室内の適当な温度の維持、板架の陳列装置などがいかにも科学的で合理的になっていることは大藏板が今まで完全に保存されている大事な理由の一つとして評価されている。

朝鮮 世祖4年(1458)に拡張·再建してから成宗19年(1488)にまた建立したと推定され、壬辰倭亂の時も被害を受けなくて昔のままを残すことができた。その後、光海君14年(1622)に脩多羅藏を修理し、仁祖2年には法殿を直した。1964年 解體修理時、 上樑文と光海君御衣が発見され保存している。1995年12月9日 世界文化遺産 第463号に指定された。


 


 



○海印寺 高麗刻板

指定番号 : 国宝 第206号

指定日 : 1982年 5月 11日

所在地 : 陜川郡 伽倻面 緇仁里 10番

数 量 : 28種 2,725板

材 料 : 木板


時 代 : 高麗時代


 


海印寺に所蔵されている高麗時代に刻んだ仏教経典、高僧の著述、詩文集などの木板。国家機関である大藏都監で刻んだ海印寺大藏経板とは違って寺刹で刻んで現在、海印寺 藏板殿の間にある東·西 寺刊板殿に奉安されている。

これら木板は『金剛経』『華嚴』などの大乘経典と新羅、高麗、中國の高僧とか個人の詩文集及び著述などである。経典類はほとんど刊行記錄があって高麗時代の仏教経典の流通など仏教信仰の傾向を分かることができる。高僧そして個人の詩文集と著述などはたとえ刊行された記錄がなく散秩は多いが、その内容は伝えていない歴史的にめずらしい資料で韓国仏教思想及び文化が分かる唯一な資料である。またその自体が韓国木版印刷術の実証的な資料としてその時代の文化を象徴する書刻芸術品でもある。海印寺の高麗時代に板刻した経板はすべて54種2,835板だが、この中に28種2,725板が国宝第206号に指定されて、26種110板は宝物第734号に指定されている。


 

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